無作為の作意 〜セラミックワーク・歯科技工の世界①〜|新清洲駅の歯科・歯医者なら、岡崎歯科

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無作為の作意 〜セラミックワーク・歯科技工の世界①〜

一本の前歯を見て、「白い歯だ」と思う。私たちは普通、それ以上のことを考えない。しかし歯科技工士は、その一歯をじっと見つめる。白い、と言っても白は一色ではない。
明るさがある。黄色味がある。赤味がある。透明感がある。歯の先端にはわずかに青みを帯びて光を透かす場所があり、歯肉に近づけば色は濃くなる。内部には象牙質の色があり、その上を半透明のエナメル質が覆っている。さらによく見ると、表面には細かな凹凸がある。光は均一には反射しない。見る方向によって明るさが変わり、朝の光と診療室の光でも印象が違う。一本の歯の中に、驚くほど多くの「色」と「光」が存在しているのである。歯科技工士がセラミックの歯を製作するとき、単に見本帳から似た色を選んでいるわけではない。明度、彩度、色相。透明度。隣の歯との関係。歯の厚み。切縁の透過性。内部に浮かぶ微妙な色の揺らぎ。表面性状による光の反射。そして、その歯が患者さんの口の中に入った時、唇や歯肉、顔貌の中でどのように見えるのか。それらを読み取っている。優れた歯科技工士の仕事を見ていると、ときどき不思議な感覚に襲われる。どこをどう作ったのか、よく分からないのである。隣の天然歯には褐色の線が入っている。ならば同じ線を描けばよい、という話ではない。天然歯に青みがある。ならば青を塗ればよい、という話でもない。むしろ、「青を使った」と気づかれた瞬間に失敗することさえある。色を置き、消し、重ね、透かし、奥へ沈める。技工士はセラミックという人工物の中に、天然歯が何十年という時間の中で偶然獲得してきたような色彩を再構築していく。

そこには明らかな作為がある。しかし完成した歯から、その作為は消えていなければならない。

私はそこに、無作為の作意を見る。「よくできた人工の歯」では足りない。口の中を見た人が、その歯だけを意識しないこと。「どれがセラミックなのですか」と尋ねたくなること。それこそが、おそらく最高の賛辞なのだと思う。歯科技工という仕事には、華やかな側面ばかりがあるわけではない。ミクロン単位で適合を確認し、咬み合わせを調整し、形態を削り、盛り、焼成し、また削る。ほんのわずかな輪郭の違いで、歯は大きく見えたり、小さく見えたりする。数ミクロンの長さ違いで、笑った時の印象が変わる。そして歯は、飾っておく美術品ではない。毎日噛まれる。温かいものも冷たいものも通る。唾液にさらされ、食物を受け止め、何年、何十年という時間を口腔の中で過ごさなければならない。美しいだけではいけない。強くなければならない。清掃しやすくなければならない。歯肉と調和しなければならない。咬合の中で破壊を生まない形でなければならない。ここが、一般の美術工芸とは決定的に違うところである。