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ワルくなる練習
小学校4年生の頃、私は人生を大きく変えようとしていた。このままではいけない。もっとワルくならなければならない。そう思った。
なぜそう考えたのか、世の中には「舐められる人」と「舐められない人」がいて、自分はどう考えても前者に属しているような気がしていた。これはまずい。そこで私は、近所の神社の大きな木を相手に練習を始めた。「オラオラ!」「っざけんな!」今まで口にしたことのない汚い言葉を、吃ることなく、自然に、滑らかに言えるようになろうとした。悪そうな人というのは、ああいう言葉を瞬時に繰り出す。ならば練習あるのみ。完全な自主トレ。さらに、腕っぷしも強くならなければならないと思い、その大木を相撲の鉄砲よろしく両手でバンバン叩いた。オラオラ。バン。っざけんな。バン。かなり本気だった。しかし一つ、大きな問題があった。声が高い。テレビに出てくる悪そうなチンピラの声とは、あまりにも違う。こちらはどう頑張っても、声だけ聞けばまだ普通の小学生である。これはいけない。私は考えた。声を潰そう。声をぐしゃぐしゃにすれば、何か一目置かれるのではないか。小学生なりの戦略である。そこでさらに力を込めてとにかく叫んだ。声帯というものに何が起こるのかなど知らない。ただ、明日には少し渋い声になっていることを期待した。すると、少し離れた公園で野球を教えていた大学生くらいの人が、こちらを見ていた。むむむ、これは怒られるかもしれない。私は少し固まった。その人はこちらへ近づいてきて言った。「僕、何してんの?」何も言えない私・・・。しかし次の言葉は、まったく予想していなかった。「声出し、めちゃいいね!」褒められた。ワルくなるために叫んでいたのに。チンピラに近づくために喉を潰そうとしていたのに。なぜか「声出しのいい少年」として評価された。人生とは不思議なものである。自分が懸命に向かっている方向と、他人が見つけてくれる長所が、まるで違うことがある。あの時の私は、舐められない人間になろうとしていた。しかし、誰かの目に映った私は、元気よく声を出せる子どもだった。その大学生の人の何気ない一言は、今思えば、私にとって人生の大きな扉の一つだった。私はそのままその野球チームに入って喜んで野球漬けになった。
人は、自分で考えた方向にだけ成長するわけではない。むしろ、ときどき誰かが、「そこ、いいじゃん」と、自分でも知らなかった場所を指さしてくれる。あの神社の大木の前で、私はワルくなる練習をしていた。しかし結局、ワルくなることには失敗した。声も思ったほど潰れなかった。大木にも、たぶん何のダメージもなかった。ただ一つ。大きな声を出すことだけは、どうやら得意だったらしい。人生というのは、ずいぶん妙なところに入口があったりするのであった。
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