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プライベイト・アイズ
中学生の頃、ホール&オーツの「PRIVATE EYES」を聴いた。衝撃だったのは、その発音。どう聴いても「プライベート・アイズ」ではなく、ほぼ、「ぱらべらいっ」と聞こえた。なんだこれは。英語とは、もっと一語一語、教科書に載っている姿のまま律儀に発音されるものだと思っていた。ところが実際には、単語と単語がくっつき、削れ、流れ、知らない生き物のような音になってこちらへ飛んでくる。私は何度もカセットを聴いた。ぱらべらいっ。そのたびに、英語というものの底知れなさに妙な興奮を覚えた。そして辞書を引いた。Private―私的な。Eyes―目、視線。なるほど。「私的な視線」。今思えばずいぶん硬い。もっと軽やかに受け取ればよかったのである。しかし当時の私は、習い始めた英語をいちいち日本語の大地に着地させなければ気が済まなかった。private。私的な。eyes。視線。私的な視線。ふむ。そして、さらに考える。私的な視線とは何か。誰にでも向ける目ではないのだろう。ある特定の相手にだけ向ける目。そこには何か、他人には見せない感情が含まれているのではないか。つまり、恋心。それも、隠していながらどうしても漏れ出してしまう恋心。さらに言えば、そこには色気のようなものも含まれているのではないか。私は中学生である。色気が何たるかなど、ほとんど知らない。にもかかわらず、「特定の相手に向けられた、色気のある恋心が漏れ出す視線」などと勝手に解釈し、ひとりで妙に熱くなっていた。実に面倒くさい中学生である。たぶんアメリカの少年少女たちは、もっと軽やかにこの曲を聴いていたのだと思う。自然に音に乗り、手を叩き、踊りながら。一方こちらは名古屋の中学生である。腕を組み、「なるほど、私的な視線、か」だ。踊る気配など微塵もない。しかし、あの頃の私はそうやって英語を覚えていった。単語を一度受け止め、日本語に直し、その意味を少し膨らませ、勝手な物語を付け加える。だから英単語は、単なる語彙ではなかった。ひとつひとつに風景があった。匂いがあった。妄想があった。Private Eyes。その言葉には、いつの間にか私の中で、誰かを好きになることの予感まで染み込んでいた。夕方、自転車で庄内川の堤防を走る。川面の向こうに夕陽が沈んでいく。空は橙色から紫へゆっくり変わり、風が制服の袖を揺らす。私はそこで、まだ存在しない未来を思い描いていた。いつか、そう、いつか好きな女の子とここを歩く日が来るのではないか。夕焼けの庄内川を並んで眺めて、どうでもいい話をして。別れ際、その子が少し振り返り、「また明日ね」と手を振る。その瞬間、私はきっと、彼女の目の中に何かを見るのだ。誰にでも向けるものではない。ほんの少しだけ、自分に向けられた特別な視線。そう、これがPrivate Eyes。そんなことを本気で考えていた。夕焼けは美しかった。英語は難しかった。恋は、まだよくわからなかった。果たして、その後、庄内川の堤防で、「また明日ね」と手を振ってくれる女の子など決して現れなかったのは言うまでも無いのであります。
院長 岡崎伸一
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