よそ見運転街角トワイライト|新清洲駅の歯科・歯医者なら、岡崎歯科

電話をかける
WEB予約
お知らせ

お知らせ INFORMATION

ブログ

よそ見運転街角トワイライト

高校時代からは二つの人生を生きていた。現実世界と妄想世界。

現実世界は全くイケテナイ、女子と目を合わせられない、女子と関わりなど皆無の、言葉にし難い劣等感に塗れたどんよりした世界であった。

一方、妄想世界では数々の女性との出会いと別れを繰り返し、こともあろうに愛するが故の息苦しさに戸惑い「俺たち少し距離を置こう」と言ったりしていた。彼女から別れを切り出された際には、彼女自身が愛の深さ故理性を見失う自らを恐れていると勝手に解釈し、遠くを見ながら目を細め「少し臆病になっているのじゃないか」と現実世界では到達不可能と思しき理性的なセリフを口にしていた。

妄想は自転車を走らせている時や地下鉄に揺られている時、名古屋駅の人混みに紛れている時に不意に浮かび上がり、映画のように挿入歌が入ったりした。挿入歌はその時の気分で出てくる全く出鱈目な架空の曲だが昭和歌謡の影響を色濃く受けたからか決まって「一人たたずむ街角〜トワイライッ」という歌詞になっていた。

時々、妄想世界と現実世界の境界がわからなくなった。妄想世界で歌っていた街角トワイライトが口に出てしまい、それも、まずまず、なんというか、自分なりにかっこつけた声だったりした。その日も自転車に乗りながらご機嫌で街角トワイライトを歌っていた。

曲がり角で小学校からの知り合いに出会した。あまり話したことのない、でも同じクラスだったこともある微妙な距離感の知り合い。目も合った。ワッとビクついた。でも街角トワイライトは止まらなかった。出くわす直前から自分なりのサビだった。どうしようもなかった。そのまま歌いながら目を合わせながら自転車の速度に任せて僕は彼と目を合わせながら遠ざかっていった。次の瞬間、

どーん!

私は電柱にぶつかった。

中村区押木田町の一角で、自転車の前輪はつぶれ、私はのびた。

知り合いは介抱してくれた。

妄想していたことを彼に告げると、「そういう感じだった」と笑ってくれた。

その時点で知り合いを越えて友人になった。

現実世界にこそ救いがある、そんなことを少しずつ学びはじめた15歳だった。

院長 岡崎伸一