過去が暴れる③|新清洲駅の歯科・歯医者なら、岡崎歯科

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過去が暴れる③

56歳になって、人と共に歩み、多くの人たちと接し、子を育てる道のりをきた。それでも私は失敗する。不用意な言葉で人を傷つける。自分の正しさに夢中になって、相手の景色を見失うこともある。

そんな時、過去が暴れる。

泥だらけの七歳が出てきて、お前、忘れたのか、と言う。人は理由もなく傷つけられることがある。たった一言で、自分の存在全部を否定されたように感じることがある。そして反対に、ただ隣にいる誰かのおかげで、破滅へ向かわずに済むこともある。お前はそれを知っていただろう、と。なるほど。私は七歳の頃から、ずいぶんいろいろなものをもらっていたのである。殴った上級生からさえ、人を傷つけることの恐ろしさを教わった。あの先生からは、言葉は発した本人が忘れても、受け取った側で何十年も生き続けることを教わった。そして友達からは、人間の価値は立派さだけで決まるのではないことを教わった。そう思えるようになったのは、徐々に、そうとしか言いようが無い。

七歳の私は、そんなふうには思えなかった。ただ怖くて、悔しくて、腹が立っていた。

それでいい。七歳には七歳の理解しかできない。そして五十六歳には、五十六歳になって初めて見えるものがある。だから過去は、ときどき暴れた方がいいのかもしれない。綺麗に整理され、「いい経験でした」などという箱に収まってしまった過去からは、もう何も聞こえてこない。

まだ痛い。まだ腹が立つ。まだ笑える。まだ泣ける。

だから、こちらもまだ学べる。蟯虫も、失禁も、泥水も、ビー玉も、揚げパンも。全部抱えて七歳の私は生き延びた。そしてどういうわけか、五十六歳の私の中にもまだいる。人を簡単に笑うな。一人にするな。自分だってたいした人間ではないことを忘れるな。でも、自分まで粗末にするな。そしてできれば、誰かが暗いところにいる時には、解決などできなくてもいいから、少しだけ隣にいろ。

過去が暴れるたび、私はまた、そのことを教えられている。

*本文は「明日なき7歳」を元に加筆したものです。    院長 岡崎伸一