僕はいけない子だった|新清洲駅の歯科・歯医者なら、岡崎歯科

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僕はいけない子だった

今現在、街の歯医者さんをしていて先生などと呼ばれているのですが、小学生時分は大人たちが眉をひそめる、逆上して泣き叫び大人を困らせるどうにもいけない子でした。

小1の時近所でスイカ割り大会があり、1回目、私はあっけなく的を外しました。悔しくて、もう体が燃えるように悔しくて2回目の挽回を期して参加者20名ほどの最後尾に並びました。くそ〜、次は絶対割ってやると闘志を燃やしながら見ていたら次の挑戦者は保育園の年少さんくらいの小さな男の子でした。彼はヨロヨロと歩き始め周囲は割れんばかりの応援。私は少しイライラしていました。そのうち二十歳前後の世話役のお兄さんが出てきて男の子の歩く方向を少し手助けしたのでした。その瞬間私は叫びました。「何しとるんだ!何もするな〜!自分の力でやらせろ〜!」そして泣きながら誰もが認める優しいお兄さんに飛んでぶつかりにいきました。すぐに取り押さえられ、町で有力な別のおじさんに「おい坊主、意地汚ねぇ真似するな。」と静かに重くたしなめられました。そのおじさんの腹の底から出てくる大人の大きな声の正論に余計悔しさが込み上げて号泣したのでした。せっかくのスイカ割り大会は台無しに。僕は人前に出てはいけない人間だと感じました。

小3の水泳の授業。私は飛び込みができませんでした。仲間がどんどん飛び込んでいく中でへっぴり腰で飛び込み台にいるとプールサイドで担任の先生が「おい、オカザキ!お前ち○ち○ついとんか!」と叫び、それを聞いたその場のみんながどっと笑いました。一瞬血の気が引き、すぐに猛烈に恥ずかしさと消えてしまいたい絶望感に襲われ「ち○ち○くらいついとるわ!」と水泳パンツを脱ぎ飛び込み泳いだのでした。怒り狂った私はプールサイドに上がり担任に「気がすんだか!」と詰め寄ると後は職員室に連れて行かれましたがそこからは覚えていません。もう学校に僕の居場所はありませんでした。

同じく小3の授業で「0.1事件」は起こりました。0.1と0.01ではどちらが大きいかと先生からの問いに対して私は0.1が大きいと言い、私以外全員は0.01が大きいという分かれ方でした。だって0が多い方が大きいに決まっとる、オッカン(そう呼ばれていた)アホアホ、という空気の中担任の先生は「さあ、どうなんだろ〜ね〜」と。それを聞いた瞬間先生に対して「早く本当のことを言えよ!!おい!いい加減にしろ!」と、もう自分でも覚えてないくらい汚い言葉で泣き叫びながら先生に突っ込んでいったのでした。

僕はいわゆるグレてしまいたい、馬鹿にしてくる全ての奴らを逆に馬鹿にする態度を身につけたいと思いました。どうせ舐められるなら、こちらから先制パンチで汚い言葉を連ねる人生にする!まだ小学生だけど早くバイクに乗ってタバコ吸うぜ!鏡の前で眉毛をテープで消して「おいこら!」とかやりました・・・

嗚呼、それでも僕にワルになる素養は全くありませんでした。

小4時、声を潰したいと思い公園内の神社で「おらおら」とワルくなる練習をしていました。すると「声出しいいね」と少年野球に誘われ、誘われるということに無上の喜びを感じのめり込んでいきました。いつしかワルでなくても救いはあると自然と思うようになったのです。