高校生だった。|新清洲駅の歯科・歯医者なら、岡崎歯科

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高校生だった。

中学校時代は補欠で試合経験は皆無だった。部自体は強豪で同級生は他府県の強豪校に引き抜かれていった。
そんな同級生たちとひたすら打ち合っているうちに少しずつ球足に慣れていった。

時は流れ高校生に。
入った高校の軟式庭球部監督は血の気の多い体育教師で、競技の世界にも顔がきく根っから勝負師気質の男だった。
入って数日で「お前は勝てる」と静かなトーンで言ってきた。人生で初めて真剣に期待を受けたが、しみったれた補欠根性の弱気高校生は1年間ただの一試合も勝てなかった。恐ろしいほど期待を裏切ったが監督は「馬鹿野郎!普通にやれば勝てるのに自分は出来ると信じてない。外周走ってこい。」その都度、監督はむき出しの怒りで相対してきた。人から相手にされないことはあっても真剣に向き合ってもらう経験はなかった。戸惑いながらも人生で初めての感覚、本当はそうありたいと気づきつつも情けない自分を誤魔化し飛び込むことを避けてきた未知の世界だった。
進学校にもかかわらず勉強する時間があればその時間の全てを体を鍛えることに捧げた。誰よりも速い球を打ち、誰よりも試合を支配するイメージを拠り所に練習を重ねた。

その時は急に来た。
2年生夏の地区大会で1回戦を突破すると接戦もなくそのまま優勝した。ペアを組む前衛サトウは覇王感のある名手で多分に助けられたが、自分が打ち込む球も明らかに鋭く相手から返ってはこなかった。あ、あれ?こんなんだったっけ?監督は「当たり前だ。」と言った。こんな風景を見ていいのかなぁと少し怖かった。
そのシーズンは1年間の全ての地区大会個人戦で優勝した。
夢中で走り回り、声を上げ、打ち続けて、気がつくと大会が終わっていた。それでも全国大会出場がかかる、重要な、ここ一番という試合で負けた。一気に駆け上がるチャンスを掴めない弱気癖の抜けない教え子に監督は制御しがたい怒りをぶつけてきた。何とか駆け上がりたかった。が、最後のインターハイ決めの試合で敗れるとそんな夢のような時間はあっけなく終わった。監督の落胆の表情とともに青春と呼べる時間が泥のように沈んでいく感覚に覆われた。気がつくと私はただの勉強ができない高校3年生だった・・・。

それから35年後の昨年、岡崎歯科移転開業時に監督からお祝いが届いたのでした。嗚呼、つまるところ私は、私を信じて疑わない最高の恩師がいる、心底恵まれた人間なのでした。

院長 岡崎伸一