苦境に立たされたとき大人は|新清洲駅の歯科・歯医者なら、岡崎歯科

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苦境に立たされたとき大人は

中学2年の冬だったと思う。駅の改札を出てすぐに、「パノラマ食堂」という場所があった。カウンター形式の小さな店がいくつも並び、カレー、ラーメン、洋食、それぞれの店にそれぞれの湯気が立っていた。その中に閑散とした一角があった。丼ものの店だった。他の店が昼どきで混雑しているのに、そこだけ時間が止まったようだった。店の奥には、50代くらいの店主らしき男の人と腰が丸くなっているお婆さん。店主はくたびれた白衣を着て、腕を組み、険しい表情で向かいのラーメン屋の行列を見ていた。彼が苦境に立たされていることと、その心境をそのまま表情に出しているのを僕は見ていた。彼は、それまで出会ってきた理性的な大人たちと少し違っていた。彼の目はぼんやりしていて、口元だけが小さく動いた。それは、はっきりと聞こえた。 「ちくしょう……」ちょっと驚いた。 店の奥で、こんなに正直に「ちくしょう」と言う人がいるのかと思った。僕は急に彼のことが気になって、気づいたら席に座っていた。「カツ丼、並ください」自分でも、なぜ注文したのかよくわからなかった。ただ、気になったのだ。この人の作る丼は美味いのか。いや、この人が“何者なのか”を、知りたかった。彼は、さっきまでの辛気臭い顔を一変させて「はい、カツ丼並〜、いっちょー!」と若干言い慣れてなさそうな元気な声を出した。その変わりようはあまりに急だった。調理は手早かった。というか、速すぎた。棚の上には、すでに揚げてあるカツやかき揚げが陳列してあった。それをさっと取り出して、玉ねぎと卵と一緒に煮て、ごはんの上に乗せる。見事に2分でカツ丼は出てきた。味は……それなりだった。カツはやや固く、卵は半熟すぎて白身が透けていた。でも、食べられない味ではなかった。箸を進めていると、彼がカウンター越しに身を乗り出して、「坊ちゃん、どうだい?美味いか?」と聞いてきた。その笑顔の奥に「うまいと言っておくれ」という祈りにも似たメッセージを感じた。僕は「うん」とうなずいた。それが精一杯だった。うそではなかった。少なくとも不味くはなかった。丼を食べ終えて立ち上がると、彼は「ありがとねぇ」と言った。眉間に皺を寄せて「ちくしょう」と言ったあの表情を残したまま微笑を被せたような切ないけど嘘がない何かを感じた。その声はどこか寂しく、どこかうれしそうだった。あれからずいぶん経つが、あの店のことはよく覚えている。なぜ客が来なかったのか、味なのか、雰囲気なのか、きっといろいろあった。でも、あの店で出てきたあの丼は、なんというか、「人間の味」がした気がする。僕はあの丼屋のオヤジが好きだ。今はっきりそう言える。モロに気持ちを言ってしまうあのオヤジを愛しいと思う。今、自分はあのオヤジと同じような年代になっている。焦って辛くて「ちくしょう」。その後橋本龍太郎がそう言うのを見た時同じ温度を感じた。いいじゃないか、そういうの。ときどき思うのだ。人には、笑顔よりも先に、「ちくしょう」と安心して言える場所が必要なのかもしれないと。

院長 岡崎伸一