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自律と善行のあいだで―歯科医療における説明困難性と倫理的負債について―
歯科医療に携わる者にとって、自律(autonomy)と善行(beneficence)の緊張関係ほど、
日常的でありながら解決し難い倫理的課題はない。患者の意思決定を尊重すること。それは現代医療において疑いようのない原則である。一方で、専門職として「より害が少なく、より利益が大きい」と判断した道を提示することも、同じく放棄できない責務である。問題は、この二つが衝突する場面が、歯科医療、とりわけ咬合・顎関節・力学的問題を扱う領域において、極めて頻繁に出現するという点にある。咬合に起因する病態は、原因と結果が時間的にも空間的にも分断されている。破折、脱離、顎関節症状、違和感――患者が自覚するのは「いま・ここ」の症状である。しかし原因は、長年にわたる力の偏在、姿勢、習癖、心理的緊張、そしてそれらが織りなす不可視の力学的履歴に潜んでいる。この種の病態は、説明する以前に、医療者自身が全体像として把握することすら容易ではない。限られた診療時間、断片化された情報、単一診療科としての制約。多くの歯科医師は、「対症療法としての正しさ」と「原因療法としての不十分さ」のあいだで、言語化されない葛藤を抱えながら診療に臨んでいる。ここに、歯科医療特有の倫理的困難がある。患者の自律を尊重するためには、説明は理解可能でなければならない。しかし、咬合や顎機能の問題は、本質的に一回の説明で把握できる構造をしていない。結果として、医療者は無意識のうちに選択を迫られる。
理解可能性を優先し、説明を単純化するのか、善行を優先し、理解困難であることを承知の上で提案するのか。
いずれを選んでも、どこかに倫理的な「負債」が残る。この負債は、治療の失敗として表面化することもあれば、「なぜあの時、もっと伝えられなかったのか」という自己内省として沈殿することもある。重要なのは、この状況を個々の歯科医師の力量不足として回収しないことである。これは構造の問題であり、歯科医療という専門領域が本質的に抱える困難さである。だからこそ、私たちに求められるのは「完全な説明」でも「常に正しい判断」でもない。むしろ、説明できない部分が存在することを自覚すること、患者の自律を尊重しつつ、専門家としての懸念を誠実に表明すること、善行を押し付けず、しかし引き下がりすぎないこと、この均衡を保とうとし続ける姿勢そのものが、歯科医療における倫理的実践なのではないだろうか。自律と善行のあいだで揺れ続けること。それは未熟さの証ではない。むしろ、専門職であり続けようとする者の、誠実さの表れである。
歯科医療は、「治す技術」だけで完結する仕事ではない。理解困難なものを前に、それでもなお説明しようとし、対話を諦めない営みである。その困難を自覚し、言葉にし続けること。そこにこそ、歯科医師という職業の倫理的核心があると、私は考える。
岡崎伸一
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