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君の名を 黒板に書き さっと消す
高校生の頃、こんな川柳を書いたことがある。いま思えば、ずいぶんと都合のいいものだ。誰にも見られたくないくせに、わざわざ黒板というみんなの目に触れる場所を選んでいる。こっそり書いて、さっと消す。でも心のどこかでは、ほんの少しだけ期待している。チョークの粉くらい、残っていてもいいじゃないか。誰か気づいてくれないか。
そしてその「誰か」を経由して、あの子に伝わってしまえばいいのに、と。
直接は無理。でも間接なら、もしかしたら、そんな遠回りの願いが、あの一行の中に収まっていたかもしれない。当時、私は恋愛というものを、ほとんど妄想の中でしていた。頭の中ではいくらでも物語は進む。しかし、黒板に書いた名前は、紛れもなく現実に存在する、同じ教室の一人の女子だった。
黒板に名前を書いては消していたあの頃、自分の中には、明らかに二つの流れがあった。近づきたい、という衝動。そして、それを自分で止めてしまう制御。
「書く」と「消す」のあいだにあった、そのわずかな逡巡。あれは単なる照れではなく、
当時の自分なりの勇気の限界だったのだろう。だから結局、何も起こらなかった。
告白もしていないし、何も始まっていない。黒板はきれいに消され、日常は何事もなかったかのように続いていった。それでも、あの一瞬の感情は、消えなかった。
むしろ、不思議なことに、何も起こらなかったからこそ、こうして言葉として残っているのかもしれない。
いま思えば、あの一句は「未遂」だった。けれど同時に、どこかで未来を予告していた気もする。
黒板の前で、名前を書いては消していた少年が、何十年か後には、それなりに日常を生きている。
あのとき、さっと消した名前。その消し跡の中に、すでに今の自分は、かすかに書き込まれていたのかもしれない。
院長 岡崎伸一
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