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バカヤロウが愛の言葉だった時・前編
先日カーラジオからNHK「ひきこもりラジオ」という番組が流れてきた。ひきこもりの最中にあるリスナーが集う場に持ち込まれたメッセージの多くは「どうせ私なんて誰からも必要とされていない」「私の存在は多くの人を嫌な気持ちにさせる」といった自己肯定感が見出せない暗渠のように感じた。「親からは私の存在を否定することしか言われたことがない」や「学校の勉強についていけない。でも先生含め周囲は憐れむだけで耐えられない」など・・・聞き入ってしまった。胸を詰まらせながら聞き入ってしまった。うん、うん、わかるよ、と頷きながら。そして湧き出してきてしまった。あれやこれや私自身の自己卑下感が出てきてしまった。わかる、などということはこちらの一方的な思案であって苦しみの中にある本人の心の底に触れているなどということは私自身の傲慢としか言いようがない・・・と思いその人からも遠ざかろうとする・・・そして人間関係は弱々しくショボショボになる・・・。ゴミだ、ボクはどうしようもなくゴミだ・・・。はい、私は生来、そんな感じなのであります。これでよく歯科医院院長など務めていられるな、と自分でも思うのであります。そんな私の中にある僅かばかりの自分を信じる力、それを頼りに生きているわけですが、それは誰からも蔑まされていると思い込んでいた私に対して剥き出しの期待感で迫ってきた、バカヤロウが口癖の高校体育教師との出会いによってムクリと芽が出て、50代半ばの今も自分の中に残っているものなのです。
院長 岡崎伸一