ステイゴールド②|新清洲駅の歯科・歯医者なら、岡崎歯科

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ステイゴールド②

貧しさと悲壮感は必ずしも関連しない、と思っている。貧しさを笑いとばす豪放さやユーモアがあれば何かを突破できるかもしれない。しかし、そうしたバイタリティを持っていないならそれはそれで何も問題はない。地道に、真面目に、その人なりの心のありように従って日々が流れていくのも悪くはない。心のありようは流れる雲のように自由であれと願う。父は普段ほとんど自分の意見というものを言わなかった。無口で無表情でただ酒を飲みテレビを見ていた。見ていたものはプロレスか時代劇だった。思えば祖母もそうだった。この人は本当に学校の先生をしているのだろうか?と思った。母は「お父さんは教頭だから子供達の前で授業はしない」と。なるほど。でも昔はちゃんとしていたのだろうか?疑問だった。父は母方の明るい性格の来客や溌剌とした雰囲気の来客が苦手のようだった。そんな時間は笑い声が聞こえる隣の台所で何をするまでもなくお茶を飲むなりして時々独り言で汚い言葉を吐きながらやり過ごしていた。ある日笑い声と共に楽しく団欒していた母方の親戚に対して台所で一人酒を飲んでいた父が突然「この家を掻き回すな、帰れ」と怒鳴ることがあった。父が自分の中で膨らんだ衝動を抑えられなくなった瞬間だった。その破壊衝動の現実化とその後の夫婦の決定的断絶を子供心に感じ戦慄した。母と父がうまくいく予感のかけらもなかった。そうしたことがあった後はまた無口で無表情が続くのだった。日々、父は小皿に蒲鉾と守口漬けをそれぞれ二切れほどのせ、サントリーレッドをキリンレモンで割りちびちびと飲んだ。ステテコ姿で飲み続け1時間ほどすると顔は赤くなり背中を丸め「くそっ!」などと独り言を吐きながらうつ伏せに近づいていった。そんな、酩酊状態の父が時々何を思ったか「おいシンイチここ座れ」と視線も定まらない中言う時があった。そして、おそらく本音なのだろうと言うことを言ってくるのだった。「お母さんはシンイチに私立中学校を受験させたがっているがやめとけ。地元の中学校に行くことが一番勉強になる。」またある時は「シンイチは将来教師になるのがいい。」と言った。普段何も喋らないのに、酔った時は何かが憑依したように短く話す。が、それは耳に残った。母からすると父は「世間シラズ」だった。母は母で我が子を一人前にするのに必死だったが、その方針は悉く父と対立した。しかし私の中でどこか、泥のような貧しい生活から今日への活路を見出してきた父の言葉は一切の飾りが無く、生きる中から絞り出された心の声である気がした。正直で口下手で孤独、理解者は乏しく2階の父の書棚には教育に関する本、家永三郎の著書、サルトルの「否認の思想」などが並んでいた。何かを掴もうとしていたのは間違い無いがついにそうした本人の考えるところを聞く機会はなかった。

院長 岡崎伸一