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影響ブック・愛と誠

おそらく、小学生時代は野球をしていたか、フルーチェを食べていたか、本を読んでいるか、どれかだった。ドカベンで青春に目覚め、ハリスの疾風で、直向きに生きる姿勢こそが美しいのだと学んだ。努力は裏切らない。そうした物語は、少年にとって疑いようのない世界の法則だった。家には偉人の伝記がいくつかあった。ヘレン・ケラー、シュバイツァー。困難に立ち向かい、志を貫いた人々の人生は、模範として整いすぎていたがそれなりに感動した。だが、最も心を奪われたのは、ライト兄弟の物語だった。人類がまだ空を飛べないと信じていた時代に、創意工夫と失敗を積み重ね、長時間飛行に挑む。誰も保証してくれない夢へ向かって、愚直に前へ進む姿。そこには、努力と挫折が、むき出しのまま並んでいた。ハックルベリー・フィンの冒険には、どこか下町の小さな思惑や、善悪の曖昧さが漂っていて、教科書的な正しさとは違う匂いがあった。だが、とにかく色々読んでいた。それらすべてを凌駕して、少年の内部に決定的な地殻変動を起こした作品があった。

原作・梶原一騎、作画・ながやす巧 『愛と誠』 である。それは、いわゆる劇画だった。本当は、小学生が読んではいけない類の本だったのかもしれない。ページをめくるたびに、大人たちに感じていた、説明のつかない「いやらしさ」が、濃縮された形で立ち上がっていた。暴力、欲望、支配、屈辱、そして愛。それらが、決して整理されることなく、剥き出しの感情として描かれていた。にもかかわらず、いや、だからこそ、その世界はどこか美しかった。愛は、甘くなく、優しくもない。むしろ重く、執拗で、逃げ場がない。それでも、人はそこへ引き寄せられる。『愛と誠』には、そうした愛の引力が、過剰なまでに描かれていた。少年は、当然のように思い込んだ。自分の人生にも、早乙女愛のような、運命的で衝撃的な出会いが、いつか待っているのだと。それは願望というより、物語の必然だった。共感したのは、とんでもない悪党たちを凌駕するあまりに強く、あまりに純化された存在、大賀誠ではなかった。少年が心を寄せたのは、岩清水だった。弱い自分を自覚しながら、それでも正義と愛のために、火中の栗を拾いに行く男。怖い。逃げたい。それでも行く。この姿勢は、少年の奥深くに刻み込まれた。問題は、その刻印があまりに早すぎたことだ。『愛と誠』の描く愛は、極端で、濃密で、命懸けだ。それを基準にしてしまった少年は現実の恋愛とはもっと激流であると勝手に思い込んだ。そこにオフコースの歌詞がのり、愛は、この世で最も純度の高い存在で最も重いものとなった。人智を超えた覚悟が要るはずだ、となった。こうして、少年は成長した。この先23歳まで恋愛と縁のない状態が続くとも知らないまま、しかし愛についてだけは、誰よりも深刻に考えながら。振り返れば、『愛と誠』は、恋愛の教科書にはならなかった。むしろ、恋愛から距離を取るための、過剰な原体験だったのかもしれない。それでも思う。あの劇画が教えてくれた、人間の弱さ、執念、そして美しさは、恋愛とは別の場所で、確かに生き続けている。誠を貫こうとする姿勢。弱さを自覚した上で、なお逃げない態度。それらは、恋愛の場では発揮されなかったが、人生の別の局面で、静かに力を持ち続けていた、かも知れない。愛と誠が、先に来てしまった。それは不幸だったとも言えよう。しかし少年は人間を、人生を、軽く扱うことなど決して出来ないことをその作品から叩き込まれた。そう考えると、あの頃、野球とフルーチェと本の隙間に忍び込んできた劇画は、今もなお、自分の中で、ひっそりと息をしている。どこか、美しさをまとって。

院長 岡崎伸一