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ラララだよ、おっかさん
曲の最後にラララ〜ってなる、もう、気持ち昂って、心が言葉をこえちゃって、あとはラララしか言いようがないよ〜って感じ、そういうのが好きなのですよ。
診療後、車を走らせ一日の診療を振り返りながら、その一つひとつのドラマに心揺られながら、つい気持ちが入り、その時浮かんだ歌を口ずさみ高ぶる気持ちが言葉をこえて漏れ出し、止まる気配も一向になく流れ出て、ありがとうやら恥ずかしいやらせつないやらとにかく心に留めることができないもろもろが一体何なのか自分でもわからないまま否応なく溢れ出る、それがいいわけです。例えばビートルズの「Hey Jude」。あれはナナナか、まぁ、ラララもナナナも一緒です!なんか自由だ〜!うぉ〜!て感じなのです。または竹内まりやの「駅」。昔心通わせた彼を偶然見かけるも浮かび上がる甘く苦く切ない思い出、胸が張り裂けそうなわずかな時間、からの、ラララ・・・これは・・・もうラララしかありません。そしてそんな「あとはラララ」が印象的な曲として浮かぶのは
・Don’t stop me now / クィーン
たたみかけるような、ややいかがわしさ漂う歌詞と疾走感あふれる曲調に身を任せていれば、ほら、身も心も溶けてもう最後はラララしかないよね当然そうなるよね、とただただラララ最適エンディングの至福なのであります。
・My will / dream
犬夜叉テーマ曲でもあるこの曲をたまたまラジオで聴き、最後のラララに至る昂まりも、ラララのみずみずしさも、人を想うせつなさ極まってのラララ、その清らかさも私的に完璧、同じこと言いますがパーフェクトなのです。そしてグッと胸に迫るのです。そんなにメジャーな曲ではなさそうながら「ラララ曲集」なるラインナップをつくるとしたらこの曲がメインとなるのであります。
ところで、「ラララ」にやや思い入れがあるのはなぜだろう?と思うと、「ラララ」の原体験はおそらく幼少期に亡き母が歌ってくれた「四季のうた」なのではないかと思われます。「春を愛する人は〜」とちゃんとした歌詞がある歌なのですが母は「ララララララララララ〜」と最初から最後までそう歌いながら子供たちを寝かしつけていたのでした。「歌は下手で好きじゃない」と言っていた母の一つの形だったのでしょう。今も記憶の片隅に残る母の「ラララ」は、負けず嫌いで子供たちの教育を生き甲斐にするいつも怒りのままに生きる孟母たる姿とはかけ離れたものでした。そして間違いなくその「ラララ」に見守られながら安心を得ていたのだと今にして思えます。意味ある言葉ではないのに情熱の余韻のような、陽だまりの温かさのような、ラララの先になんとかなるよね的ひかりがこぼれるような。
院長 岡崎伸一