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バカヤロウが愛の言葉だった時・中編
小中学校を通して部活ではずっと補欠。背はクラスで一番低く、足は遅く、力は無い。最上級生になってもただ声を出すだけの見捨てられた、なんと言うか、何者でもなかった。中学校最後にお情けで練習試合に出て、下級生女子に叩きのめされ、泣いた。そこから、高校受験勉強と同時に自主的に激しく練習した。高校入学と同時に軟式庭球部に入部すると、1日目が終わった時に監督である体育教師T(当時40歳)がいきなり「オカザキ、お前、地区くらいなら勝てるぞ。」と言った。テキトウなことを言う人だな、と思った。強面体育教師Tは競馬新聞を見ながらコートに睨みを効かし、ミスをすると「バカヤロウ」が口癖だった。おそらく私には人一倍「バカ」や「バカヤロウ」が飛んできた。その時点までの人生はおよそ試合というものに出たことがなく、真剣に相対する精神性というものが皆無だった。当然人から期待される、という経験も無く、結果「バカヤロウ」と面と向かって言われることも無かった。こ、これが期待というものか・・などと思っているうちに見違えるように身体も大きくなり、脚力もついてきた。何より打球のインパクトの感覚が日に日に鋭く上昇していくのを感じた。Tは「お前はそれくらいできて当たり前」と相変わらず。こうなると10代少年は「オレって実は出来るのか?」と思い込んでくる。1年間ずっと1回戦負け。自分にこびりついた弱気癖に占められて勝てる気がしなかった。が、Tは「バカヤロウ!いつも通りすれば勝てるのがわかっていない!」と諦めではなく、怒った。その時は急に来た。2年夏の大会でいきなり優勝。その夏は全ての大会で優勝。Tは「当たり前だ」と言った。1学年上の先輩はインターハイ出場を果たし、部としても波に乗っていた。満を持しての秋の県大会は個人第4シード。気がつくと東海大会や全国大会が視野に入ってきた。
院長 岡崎伸一