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ステイゴールド③
結局最終の決断は子である自分がすることになる。私立中学校は受験しない、地元でいい、というと母は落胆した。「世間を知らな過ぎる。将来のたれ死んでも一切助けない。」だったが教育熱心さは消えることはなかった。公立中学校教頭の父からすれば至極当然のことだった。父は相変わらず酒を飲み、そして毎日二箱のハイライトを吸っていた。時々長屋の祖母のところにも出かけたがその親子に会話はほとんど無かった。会話はなかったが行くたびに裏庭の汲み取り式の厠の掃除をして帰った。「楽しさ」が無い世界を生きているように思えた。そんな父が相変わらずの酒の上での独り言だが、わずかばかり声を上擦らせて喋る時があった。Kという昔関わりがあっただろう生徒の名前を出して「Kは悪かった、あれは選りすぐりのワルだ。でもKは根性があった。」みたいに言うのだ。母によると昔受け持った生徒で在日朝鮮人の方とのこと。
それはそれで聞き流していた。
時は流れ、長男である私は「教師になると良い」と言う父の言葉を聞き流し歯科医師に。次男も会社員となり父の願いは途絶えた。やがて病に臥した父はその後息子たちの結婚も知らずに亡くなってしまった。
父の死後に数名の体の大きいいかつい男の人達が訪ねてきた。初めてKさんを見た。みなさん在日朝鮮人の方々だった。「オカザキ先生はとびきりワルい私らをバスケ部に入れ、これ以上ないくらいの猛練習をさせて創部2年で名古屋市で優勝しました。本当に恩人なのですよ。」と。そして「あれほど情熱を持った方は後にも先にもいないです。」Kさんをはじめとする方々は父に対する感謝を口にされていた。背も低く痩せていた父が、いつも無口で無表情な父が、こんな大きな人たちと大きな挑戦をしていたとは・・・。
嗚呼、父は自らに火を灯す大きな力を持っていたのだ。なぜもっと父の話を聞いてあげなかったのだろう、父の独り言のその奥行きに手を伸ばさなかったのだろう、と悔やむ。人生の一回性、泥のような貧乏、交通安全教、八幡社、祈り、聖職、無口、無表情、でも情熱、名も無い系譜の奥の奥に僅かに見出した灯火。華やかではない、力強くもない、でも、なんだか、ありがとう、なのです。
院長 岡崎伸一
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